星に願いを、月に許しを。

大切に想う人、物、事、日々の記録。

もっともっと特別な。

誰かと一緒にいて、

雑に扱われることに安心を覚えていました。

大事に扱われすぎるのが苦手でした。

 

ただね、雑に扱っていい人と思わせてしまうと

当たり前のようですが雑さに磨きがかかるんです。

それって違うなって思うようになりました。

 

なんだそれ、ですかね。

なんだそれ、ですよね。

 

自己肯定感が低いから自分を認めてもらうのが苦手なんです。

誰かの1番になってしまったら、

次の瞬間1番の場所から蹴落とされるんじゃないかって考えます。

1番になることは嬉しいことじゃなくて、不安なことなんです。

 

だから人間関係で順位をつけるのは苦手で、

大切に思う人はいるけど、

同じくらい大切なAさんとBさんのうち

どちらかを選ばなくちゃいけないなら

両方失ってもいいからどちらも選ばない、です。

 

それは恋人と親友でも同じことで、

比べるものじゃないし、選ぶものじゃないんです。

恋人か親友か選ばなくちゃいけないって意味わからない。

でも、「1番」に安心する人は私が思うよりも多いんですよね。。

 

自分が1番に安心を感じないから、

もちろん自分の1番ってずっと欠番なんです。

 

で、冒頭に戻り、

雑に扱われるって1番じゃない安心感があるんです。

特別じゃないことの安心感。

蹴落とされる心配のない世界。

 

でも、そういうこだわり捨てようかなって、

捨ててもいいのかなって最近思うんです。

 

友人知人が家族やこどもを大切にしている姿をみると

1番とか2番じゃない別次元の大切な存在があると気付かされるんです。

 

「自分がされたらイヤ」とかじゃなくて、

自然と「こどもがされたら許さない」って言えるの素敵だなって。

結局「1番」に一番こだわっているのは自分なんだなって。

 

まー、だからと言って結婚願望も出産願望もないままですけどね。

それは私の価値観だからしかたない。

 

***

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人に帰するのか、場所に帰するのかわからないですけど

「帰りたい」と思う場所を作ろうと思っています。

 

この数年、なんなら10年単位で見ても

かなり健康的?前向き?な思考になれています。

 

まだ音楽が聴こえる世界には戻れていないし、

好きが溢れる世界にもいないけど、

たぶん遠からず遅からず戻れるはず。

そんな気配はしています。

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